大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和49年(ワ)659号 判決

原告

壬生誠

被告

原井常雄

主文

一  被告は原告に対し九三万八九九五円及びこれに対する昭和四五年二月一三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。

四  本判決一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、三九六万六二九一円及びこれに対する昭和四五年二月一三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 事故発生日時 昭和四五年二月一三日午後二時四五分ころ

(二) 場所 福岡市西区藤崎一丁目二〇番一六号道路先

(三) 加害車 軽四輪貨物自動車(福岡き八二三二号)(以下被告車という。)

(四) 右運転者 被告

(五) 被害車 原動機付自転車(は四三九五号)(以下原告車という。)

(六) 右運転者 原告

(七) 態様 原告車が福岡市西区弥生一丁目方面から同区高取二丁目方面に向かつて事故発生交差点にさしかかつた際、同交差点を同区国鉄西新駅方面から同区藤崎電停方面に向かつて進行中の被告車が衝突した。

2  原告の受傷、治療経過、後遺症

(一) 右事故により原告は、頭部打撲挫創、脳震とう、顔面打撲挫創、右大腿部挫創、右大腿骨々折、左肩鎖関節脱臼、右足第一中足骨々折の傷害を受けた。

(二) 原告は右傷害によつて、吉村外科病院に、昭和四五年二月一三日から同年七月一五日まで一五三日間入院し、翌七月一六日から昭和四七年一〇月一四日まで通院したが、その間昭和四六年一一月二四日から同年一二月七日まで一三日間再入院した。

(三) 右傷害のため前額に約八・六cmの線状瘢痕、右大腿に一五cm、二cm、四cmの手術創痕が残り、左肩鎖関節脱臼は整復していないため肩の隆起がある。さらに右傷害による後遺障害として右前額、右側頭におよぶ知覚異常が生じ、頭を前屈させると前頭、鼻、前額部に不快感を生ずる。

3  有責原因

被告は本件加害車両を所有している(自賠法三条)。

4  原告の損害

(一) 休業損害 一三九万六二四一円

原告は本件事故により昭和四七年まで休業を余儀なくされたが、その損害は原告の昭和四四年度の年収四六万二六一五円に、それぞれの年の物価上昇を考慮したうえで、ホフマン方式により昭和四五年現在の現価を算出すると総計一三九万六二四一円となる。

(1) 昭和四五年分 四六万二六一五円

(2) 昭和四六年分 四六万七二七三円

四六二六一五×一〇六・一÷一〇〇×〇・九五二≒四六七二三二

(3) 昭和四七年分 四六万六三五三円

四六二六一五×一一〇・九÷一〇〇×〇・九〇九≒四六六三五三

(二) 後遺症による逸失利益 三七万四四二三円

原告は、本件事故当時満五四歳で建設業を自営しており、少なくともなお一〇年間は稼働可能であつたが、前記後遺障害により前屈した姿勢や高所での作業が不可能になつたもので、右後遺障害の程度は自賠法施行令別表第一二級(労働能力を一〇〇分の一四喪失)に該当し、右喪失率による昭和四八年から七年間の損失利益の昭和四五年当時の現価をホフマン方式により算出すると三七万四四二三円となる。

四六二六一五×一一〇・九÷一〇〇×一四÷一〇〇(七・九四四-二・七三一)≒三七四四二三

(三) 治療費、付添費 四三万二四二七円

(四) 入院雑費 三万三二〇〇円

前記一六六日にわたる入院期間中、少なくとも一日当たり二〇〇円の入院諸雑費を必要とした。

(五) 慰謝料 二五〇万円

原告の本件事故による傷害の部位、程度、入・通院期間、後遺障害の程度等一切の事情を考慮すると、本件事故受傷により原告の被つた精神的苦痛を慰謝するには二五〇万円を相当とする。

(六) 弁護士費用 二五万円

本件弁護士費用としては二五万円が相当である。

5  損害の填補

原告は本件事故について、自賠責保険より一〇二万円の給付を受けた。

6  よつて原告は被告に対し、前記損害の総額四九八万六二九一円より一〇二万円を控除した残損害金三九六万六二九一円及びこれに対する本件事故日である昭和四五年二月一三日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第一項の事実は認める。

2  請求原因第二項の事実中、原告が本件事故により負傷したことは認めるが、その詳細は知らない。

3  請求原因第三項の事実は認める。

4  請求原因第四項は争う。

5  請求原因第五項の事実は認める。

三  抗弁

1  過失相殺

本件は交差点における出会いの衝突事故であるが、本件事故発生については、原告にも無免許でかつ飲酒のうえ原動機付自転車を運転し、左右の安全を確認しないまま徐行もせず、交差点に進入した過失が存し、そのため本件事故を惹起したものであるから、損害額算定にあたつては、相当の過失相殺がなさるべきである。

2  消滅時効

本訴提起は、本件事故発生の日から四年四か月以上経過した時点でなされたものであるから、すでに本件事故による損害賠償請求権は時効により消滅している。すなわち、原告の後遺障害は、原告の本件事故による受傷の部位、程度からみて、本件事故当時すでに予想できたものであつて、少なくとも退院後一年近く経過した昭和四六年六月上旬には右後遺障害は顕在化しており、その後は快方に向つているのであるから、そのころから三年の経過によつて消滅時効が完成している。そこで、被告は昭和四九年九月二日の第一回本件口頭弁論において右時効を援用した。

四  抗弁に対する原告の認否及び主張

1  抗弁第1項の事実中、原告が飲酒していたこと及び左右の安全を確認しなかつたことは否認する。また、原告は無免許ではなく、運転免許の更新を失念していたものである。

本件事故発生場所は、交通整理の行なわれていない交差点で、被告通行道路が原告通行道路より明らかに広いとはいえず、優先道路でもないところ、本件事故発生時、被告は原告車を左に見て運転していたのであるから、被告は道路交通法三六条一項一号に従い、原告車の進行を妨害してはならないのに、被告は一六・二m左斜前方に原告車を発見しながら、原告車が停止してくれるものと思い込み、減速することなく漫然と進行したものであつて、本件事故は専ら右の被告の重大な過失により惹起されたものである。

2  抗弁第2項は争う。

本訴において原告がその損害の賠償を求めている本件事故による原告の傷害の症状ことに後遺障害の程度は、本件事故当時は予想できず、昭和四七年一〇月一四日に至つて、ようやくはつきりし、その症状が固定したと認められたもので、原告が本件事故による損害を確知したのも同日であるから、本件事故による原告の損害賠償請求権は、未だ時効によつて消滅していない。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因第一項(本件事故の発生)及び第三項(有責原因)については当事者間に争いがない。

二  原告の受傷、治療経過、後遺症

当事者間に争いない事実に、成立に争いがない甲第二、第四、第六ないし第一二号証、弁論の全趣旨により成立を認める甲第二六号証、証人吉村欽二の証言及び原告本人尋問の結果並びに同結果により成立を認める甲第三四、第三五、第三七号証を総合すると、以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。

1  傷病名

本件事故により、原告(大正四年三月二三日生の男性)は頭部打撲挫創、脳震とう、顔面打撲挫創、右大腿部打撲傷、右大腿骨骨折、左肩鎖関節脱臼、右足第一中骨骨折の傷害を受けた。

2  治療経過

原告は右傷害の治療のため吉村外科病院に昭和四五年二月一三日(本件事故日)から同年七月一五日まで一五三日間入院したが、その間頭部と顔面の傷については四月下旬頃まで化膿止めを主にし、五月末まで湿布と薬のつけかえをして治療を中止したし、左肩鎖関節脱臼については、肩胛骨と鎖骨との関節部分がずれた位だつたので、湿布した程度の治療で二ケ月位で後遺症もなく治ゆした。右足第一中骨骨折もひびがはいつた位のもので湿布だけで治ゆした。本件受傷中最も重かつたのは右大腿骨骨折で、二月二一日にその手術を施した後治療を継続し、ある程度歩行も出来るように回復し、日常生活に戻るにはなお多少の練習が必要であると考えられたので昭和四五年七月一五日退院し、通院治療に切りかえられた。そして、翌一六日から昭和四七年一〇月一四日まで八二二日間通院したが、通院実日数は昭和四五年七月が二回、八月及び九月が五回ずつ、一〇月が三回、一一月が四回、一二月が五回、昭和四六年一月が三回、二月が四回、三月が五回、四月が四回、五月が四回、六月が五回、七月が四回、八月が四回、九月が五回、一〇月が四回、一一月が一回、一二月がなし、昭和四七年一月がなし、二月が一回、三月が一回、四月から八月までがなく、九月が二回計七一回となつており、最後の通院日である一〇月一四日本件受傷による症状は固定したものと診断された。尤も、右通院期間中の昭和四六年一一月二四日から一二月七日までの一四日間前記大腿骨骨折手術の際挿入していた金属類を抜き出すための手術をうけて入院した。

3  後遺症

前記傷害による症状は昭和四七年一〇月一四日固定した。当時自覚症状として右前額・右側頭に及ぶ知覚異常、前額・鼻部・前頭に亘る不快感があるが、他覚症状として前額に八・六cmの線状般痕があり、これにより自覚症状としての知覚異常がもたらされ、更に右大腿に一五cm・二cm・四cmの手術創痕があるが、関節機能は正常である。また左肩鎖関節脱臼は整復していないため肩の隆起があるものの機能障害はみられない。自賠責保険査定事務所では昭和四七年一二月頃原告の後遺症を自賠法施行令別表第一二級五号に該当するものと判断した。

三  損害額

そこですすんで原告の損害額につき判断する。

1  休業損害 六一万二〇〇〇円

前記認定事実と、いずれも成立に争いがない甲第二八、第三八号証、証人吉村欽二の証言及び原告本人尋問の結果を総合すれば、原告は本件事故当時人を使つて建築請負工事業を自営しており、昭和四四年度の税務署に対する申告額による年収は四六万二六一五円であつたこと、原告は前記のとおり本件事故により昭和四五年二月一三日から同年七月一五日まで約五か月間吉村外科病院に入院したこと、右退院当時原告は多少練習すれば日常生活に復帰しうる状態であつたこと、右退院後原告は前記病院に昭和四七年一〇月一四日まで八二二日間のうち七一日通院していたこと以上の事実が認められる。

右認定事実に照らせば、原告は本件事故による休業損害として、本件事故後半年間(昭和四五年八月一二日まで)は収入の全額を、その後一年半(昭和四七年二月一三日まで)は収入の五〇%を、その後八ケ月間(昭和四七年一〇月一三日まで)は収入の二〇%を各喪失したものと認めるのが相当である。原告は、その本人尋問において昭和四七年までは一切仕事をしなかつたと供述しているが、右認定事実に照らしあわせると、右供述のみで、原告が本件事故のため昭和四七年までまつたく収入を得られなかつたと解することはできず、他に前記認定を妨げる証拠もない。

よつて、本件事故による原告の休業損害を、成立に争いがない甲第三九号証の一、二を使つて各年度の物価上昇も考慮したうえで、ホフマン方式により、年五%の割合による中間利息を控除して本件事故時の現価(千円未満四捨五入)を算出すると六一万二〇〇〇円となる。その内訳を示すと以下のとおりである。

(一)  昭和四五年八月一二日までの分 二二万円

四六二六一五÷二×〇・九五二三≒二二〇〇〇〇

(二)  昭和四五年八月一三日から昭和四七年二月一二日までの分 三三万三〇〇〇円

{(四六二六一五÷二×〇・九五二三)+四六二六一五×一・〇六一×(一・八六一四-〇・九五二三)}×〇・五≒三三三〇〇〇

(三)  昭和四七年二月一三日から同年一〇月一二日までの分 五万九〇〇〇円

四六二六一五×一・一〇九÷一二×八×(二・七三一〇-一・八六一四)×〇・二≒五九〇〇〇

2  後遺症による逸失利益 三九万五〇〇〇円

原告は本件当時満五四歳の男子で、あと一〇年は就労可能であつたところ、昭和四七年一〇月一四日固定の前記認定の後遺障害の内容、程度を考えると自賠法施行令別表第一二級に相当し、労働能力の一四パーセントを、昭和四七年一〇月一三日(前記休業損害の最終日の翌日。症状固定日は前記のとおり同年同月一四日であるが、本件においてこれ位の差は有意なものと解されない。)から七年四月喪失したものと認められる。そこで前同様の方法でこの間の逸失利益を計算すると三九万五〇〇〇円となる。

{四六二六一五×一・一〇九÷一二×四×(二・七三一〇-一・八六一四)+四六二六一五×一・一〇九×(七・九四四九-二・七三一〇)}×〇・一四≒三九五〇〇〇

3  治療費、付添費 一一万五三〇七円

いずれも原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第二九ないし第三七号証及び原告本人尋問の結果を総合すれば、原告が本件事故による受傷のため入院治療中、付添婦の看護を受け、その費用として二万五三五〇円及び本件事故による治療費等として八万九九五七円をそれぞれ支払つたことが認められる。

4  入院雑費 三万三四〇〇円

前記認定によると原告は本件事故による負傷の治療のため一六七日間吉村外科病院に入院したものであるから、一日あたり二〇〇円として三万三四〇〇円の諸雑費を要したものと推認しうる。

5  慰謝料 一五〇万円

原告の本件事故による傷害の部位、程度、治療経過ごとに入院、通院期間、後遺障害の程度、内容その他一切の事情(本件事故当時原告は無免許であつたことも含む。)を勘案すれば、慰謝料としては一五〇万円を相当とする。

6  小計

右1ないし5の損害額を総計すれば二六五万五七〇七円となる。

四  過失相殺の抗弁とその関連事項について

1  原被告各本人尋問の結果と検証の結果を総合して認められる事実とによれば以下のとおりである。

(一)  本件事故現場の状況

本件事故現場は住宅街で、高取二丁目方向から弥生一丁目方向へ東西に走る幅員約五・五ないし五・七mのコンクリート舗装道路(以下便宜東西道路という。)と、国鉄西新駅方向から旧西鉄電車藤崎電停方向へ南北に走る幅員約七・七mのコンクリート舗装道路(以下便宜南北道路という。)とがほぼ直角に交差し、その四隅はいずれも角切りにされている。四隅は民家のブロツク塀或いは竹籔により交差道路に対する視界が遮られ、見通しは極めて不良であるが、交通整理は行なわれていない。

(二)  原告車の動静

原告は原告車を運転して東西道路の左側端を西から東に向けて走行して本件交差点に進入直後、進路右斜め前方に南北道路の左側を南から北に向けて走行してくる被告車を発見し、あわてて急ブレーキをかけたが間にあわず、本件交差点中央からやや北西寄りで被告車と衝突した。

(三)  被告車の動静

被告は被告車を運転して南北道路の左側部分を南から北へ向けて走行して本件交差点にさしかかつた際、進路左斜め前方に東西道路を西から東に向けて走行してくる原告車を発見し、あわてて急ブレーキをかけたが間にあわず、前記のとおり原告車と衝突した。

(四)  原告は、原告車の時速が二〇ないし二五kmであつて被告車の速度はもつと早かつた旨、被告は、被告車の時速が約三〇kmであつて、原告車の時速は約五〇kmであつた旨、いずれも自己に有利な供述をし、検証の際もそれに沿う指示説明をするが、本件全証拠を精査するも、その真疑は確定しえず、結局右(一)ないし(三)認定の事実以上に詳細な事故態様を確定しえない。

2  過失割合

右認定事実によれば、本件事故は見通しの悪い、交通整理の行われていない、幅員がほぼ同じ道路の交わる交差道路において、原被告双方が、減速又は徐行して交差道路の安全を確認して交差点に進入通過すべき初歩的義務を怠つた過失の競合により、ほぼ同時に本件交差点に進入して本件事故の発生をみたことは明らかであり、原被告車の車種の違い、原告車が左方車であること(道交法三五条(当時施行されていたもの)参照)等を合わせ考慮すると過失の割合は原告三、被告七と解するのが相当である(なお、被告は、原告が本件事故当時無免許であつたことをとらえて過失相殺をすべき旨を主張し、調査嘱託に対する福岡県公安委員会の回答書及び原告本人尋問の結果によれば、原告は原付免許を昭和三四年一〇月一二日取得したが、昭和四三年一〇月三日失効し、以後本件事故に至るまで無免許であつたことが認められる。しかし、本件において過失割合を定めるに際しては前記のとおり直接的過失を直視すれば足り、無免許の事実は慰謝料額を参酌する一事情と解すればよい。)。

3  未填補賠償額と弁護士費用

そこで前記損害額二六五万五七〇七円につき過失相殺すると、原告の損害額は一八五万八九九五円(円未満四捨五入)となるところ、原告は自賠責保険より一〇二万円の填補をうけたことを自認する。そうであれば、未填補賠償額は八三万八九九五円となる。

又、原告が原告訴訟代理人弁護士に本件訴訟の追行を依頼したことは本件記録により明らかであるが、本件訴訟の全過程をみれば、被告に支払を命ずべき弁護士費用の本件事故時の現価は一〇万円とみるのが相当である。

以上を小計すると、九三万八九九五円となる。

五  消滅時効の抗弁について

1  本件訴訟が昭和四九年六月二一日提起されたことは本件記録により明らかであるが、原告が本件事故の発生及びその加害者が被告であることを知つた日が、提訴日より三年前の昭和四六年六月二一日以前であつたことは弁論の全趣旨により明白である。本件消滅時効の抗弁における争点は、原告が本件事故による損害を知つた日が右昭和四六年六月二一日以前に遡ることが認められるか否かにあるので、以下この点について考える。

2  民法七二四条にいう「損害ヲ知リタル時」とは、必ずしも損害の程度又は数額を具体的に知る必要はないとはいえ、それの概要を知りうることは必要であり(そうでないと権利の行使そのものが事実上不可能となり、原則として損害の一端を知つたとき常に全損害を知つたことになるとの解釈は擬制にすぎて当を得ない。)、それは消滅時効制度の根拠が、時間の経過により加害者の責任の有無及び損害額の確定・立証が困難になること及び権利の上に眠つている者を保護する必要はないし、三年もたてば被害者の感情も平静に戻つてくるという点にあることに思いを致せば、交通事故による人身損害の発生があり、長期にわたる入通院治療後ひきつづき後遺症が残るような場合、右にいう「損害ヲ知リタル時」とは、後遺症が顕在化した時と解するのが相当である。蓋し、この時はじめて被害者は加害者に対し、損害賠償を提訴できる現実的可能性が生じたといえるのであり、このときから三年も被害者が沈黙を守れば、一つには権利の上に眠つた者又は被害感情を捨て去つたといえるのであり、二つには被害者の採証の困難をこれ以上強いるべきではないこと、逆にいえばこの限度で採証の不利益を課されても止むをえないこと(被害者の採証の困難は自らの責任であり、特に考慮に値しない。)というのが正義の理念に合致するからである。このように解してはじめて、被害者及び加害者の利益の均衡が保たれるといいうる。本件についてこれをみれば以下のとおりである。すなわち、原告の入通院による治療状況及び後遺症の有無・程度は前記したとおりであるが、殊に本件事故による大腿骨骨折手術の際挿入していた金属類を抜き出す手術を施して再入院したのは昭和四六年一一月二四日から一二月七日までの一四日間であり、症状固定の診断が下されたのは昭和四七年一〇月一四日であつたこと、しかも証人吉村欽二の証言によれば、担当医師も本件受傷はひどい傷であつて、症状固定の診断前にはその見通しをたてえなかつたことが認められること、これらの事実に前掲甲第九ないし第一二号証をあわせ考えれば、本件提訴を三年遡る昭和四六年六月二一日以前に、本件後遺症が顕在化したもの即ち本件事故による損害の概要を知りえたと認めるのは困難であり、他にそれを認めるに足りる証拠はない。そうであれば、消滅時効の抗弁は理由がないことになる。

六  結論

このようにみてくると、原告の本件請求は被告に対し九三万八九九五円及びこれに対する本件不法行為日の昭和四五年二月一三日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから正当として認容すべきであるが、その余は失当として棄却を免れない。よつて、民訴法八九条、九二条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 簑田孝行)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例